設立の経緯
戦後の昭和25年頃から役肉用牛の肥育が復活しはじめました。
昭和30年代中期までの肉用牛は役肉用牛と言われ、農耕や運搬に用いて糞は推肥として利用して節約し、飼育中に生まれる子牛や農耕などの後に肥育された牛は現金収入になり、この時代の農業経営にはなくてはならない貴重なものでありました。
経済は復興から成長への足取りを辿って所得倍増計画などの強力な推進により経済高度成長期に移行していきました。
当時前半は農業の近代化を模索する時期であり、昭和36年には農業基本法ができ37年には農業近代化資金の創設や農業法人創立などを通して農業基本法の実現となりました。昭和38年頃から農業機械化の進展により役利用価値が減少したためと、畜頭数は激増し牛肉価格は暴落しました。この反動として昭和40年には牛肉生産は減少に転じ、牛肉価格が高騰したため牛肉の輸入割合量は急増しました。
当時業界においては輸入牛に対する関心も薄く、輸入牛肉の受入れする機関としては東京に全国輸入協同組合、大阪に東亜食肉輸入組合がありましたが、これらの組合は地域的に限局された組織であったため、他の地域の食肉販売業者には輸入牛肉を入手するルートが閉ざされた状況にありました。
このような状況下で輸入牛肉の一元的な受入れと全国への供給制度を確立するため、経済活動を主体とし共同事業の遂行を通じて消費地における食肉流通の合理化、近代化の推進に寄与することのできる全国の食肉販売業者をうって一丸とした全国組織の出現が期待される情勢にありました。
このような背景を契機に食肉業界の有志が相集い農林省の指導を得つつ食肉販売業界の指導者を糾合し起草委員会、世話人会、発起人会を開催して討議を重ね、積極的に組織の整備を推進しました。
昭和41年3月14日、全国27都道府県食肉事業組合連合会が会員となり富士銀行本店講堂に於いて、中小企業等協同組合法に基づく「全国食肉事業協同組合連合会」(全肉連)の設立総会が開催され、同年4月22日に農林大臣の設立認可を受け4月26日に設立登記が完了し、全国の食肉販売業者を基盤とする全肉連が確立されました。
同年2月1日に既に設立されていた北海道食肉事業協同組合連合会は会員となりました。
札幌では既に昭和25年、統制経済がなくなり数軒の肉屋が会員となり、札幌精肉商業組合(初代理事長 伊藤亀蔵)が設立されていましたが、昭和41年全国食肉事業協同組合連合会に北海道食肉事業協同組合連合会が会員となるのを機に、前進である札幌精肉商業組合から昭和41年4月12日、「国民生活の食肉に対する期待と要望に応えるべく、食肉店の自主的活動を促進し経済的地位の向上」をスローガンに札幌精肉商業協同組合へと発展し現在に至っています。